たびたびみられたが-解放军文职人员招聘-军队文职考试-红师教育
发布时间:2017-08-12 20:23:13たびたびみられたが、このあとと第六十六章では、江海(こうかい)が百谷(ひゃつこく)の王となるのは「善く(よ)下る(くだ)」からだとのべられている。謙下は、もちろん、わざと卑屈な態度をとって、あいての機嫌をとるようなへりくだりではない。そうしたしわざは、『老子』の戒める(いまし)ところであった。無為自然の静けさのなかに、あるいは牝とよばれる女性的な柔弱(じゅうじゃく)のなかに、へりくだりの本義がある。「静が躁(動)の君であり」(第二十六章)、柔弱が剛強に勝つ」(第三十六章)ことが、前に言われていたが、謙下が成功をおさめるのは、それと深く関係している。そして、それがここてとくに大国の側について強調されるのは、もちろん、大国が力にまかせて小国を圧迫するのが一般の現実であったからである。世界の平和のためには大国こそが自戒して謙下でなければならない。「天下の交(こう)」は、王弼(おうひつ)の注で「天下の帰会する所なり」とあるのに従った。「取小国」「取大国」はそれぞれ小国大国の信頼を得ること。ただし「小国を取る」と「大国に取らる」とに読み分けて、「大国」の上に「于」の字を補う説もある。「或下以取、或下而取」も、「以」と「而」は通用語であるから同じ句を重ねた形であって、意味がとりにくいが、前文の意味を受けたものとして適当な補うをつけた。なお、「取」の字が「聚」になっているクストもあるが、両字は通用する。「聚」を本字として読めば「小国を聚め」「大国に聚まる」などと読まれることになる。